ほ〜む 
12年目の通院記。(1)

完全に壊れて12年目、2,000年の七月末にタヌキはぱぱとの喧嘩「何も変わっていやしない! 変えようっていう努力もない!」って言葉をぶつけられたのをきっかけに、友人であるアジアしゃんから前々から紹介さけれていたセンセの所に発作的に電話をかけ、あれほど嫌がっていた病院通いをするようになりました(^^; 通ってみるまでの想像とは似ても似つかない、たぶん誰も想像しえない通院記になると思いますが、思いつくままに綴っていってみようと思います。

最初はともかく、焦ってた。

医者嫌いの原因は、父親をはじめとする自分の血族が医者揃いだったからです。 また、周りの仲間を見ていて薬で果たして自分が癒えるのか、という疑問が常にありました。 また、タヌキはアドバイスをされるのがだーいっ嫌いです(゚-゚;) また、「鬱病をなおす努力をすること」という、ぱぱの掲示した内容に対する反抗心もありました。 後は、自分がひどい過食症の後遺症で太っている(太りつづけている)事に対して、ドクターストップがかかる事を恐れていた節もあります。

仲間に、初診の時に「どうなりたいか、って聞かれるんだよー。」という話を聞いていました。 実際、そんな事を聞かれた訳だけれども、今の所タヌキの「どうなりたいか」っていう疑問は、小首かしげたまま宙ぶらりんの状態になっています。 鬱々がなおればいいなあ(゚-゚;) と思いました。 鬱々がなおったら、やる気が戻ってきて、過食する理由もなくなるしこんな風に家で腐る事もなくなるような気がしたからね。 けど、もっと深く掘り下げる時、タヌキは未だ小首をかしげるのです。 取り敢えず、王道に沿って「この生き辛さが消えればいい」とは言ってみたこともあるんだけどね。 それが何かもタヌキは知らんのです。 最初はともかく、焦ってましたよ(゚-゚;)

初診でタヌキは猛烈に警戒していました。 誰に対してもそうなんだけれども、特に男の人に対しては恋愛嗜癖の割に凄まじい程の警戒心を抱くのですσ(^-^;) >反面、ドアからチラッ、と覗いたりするヘンな癖もあるけどね。 けど、センセは想像していた以上に介入しない人で、何もしないかと思えば話せるように道筋を敷くのが上手な人でした。 ウチの父親とは偉い違いですね(^^; タヌキは初診で記入させられた用紙に、「鬱々期間、12年」と書きました。 電話で相談した時にも前もって相談してあった事だけれど、そこまで年数がかさんでしまうと病気なのか個性なのか解らなくなってしまって完治は難しいそうです。 そしてセンセは言いました。 「薬は極力使いませんよ。(キツい薬欲しがっても無駄ですからね〜。)」

お医者さんを選ぶ時、タヌキは二つの選択肢に迷いました。 一つは、対処療法で話は聞かないけれどバンバン薬を出すタイプのセンセ。 早死にしたければこれが一番だと自分的には思ってました(^^; >タヌキは依存体質なので、絶対にタッパーをやると思っていた(苦笑) でも、最終的にはアジアしゃんの勧めてくれていたセンセの方を選びました。 案の定、薬はほっとんど効かないに関らず、今(2,001年、四月末)も殆ど変化無しなんだけど(^^; この時点で、なんじゃかんじゃ言いながら生き残りの道を選んだんだと思っています。 タヌキはいいセンセに出逢う事が出来ました。

センセはともかく、話を聞いてくれる人です。 自分は今まで、掲示板やチャット等で仲間達に自分の話を沢山してきたけれど、通院するようになってもっと話す必要性がある事に気づきました。 けれども、時間が足りなくてねー(^^; 自分の苦しみを理解して貰うのに焦って、毎週、ウン十枚もの紙に自分が書いた事や家族構成をプリントアウトして持っていく日が続きました。 特に、母親から来ているメールを何度もプリントアウトして持っていったものです。 知ってもらいたい、という気持ちが一番最初にありました。 自分は、苦しい時でも休む事や止まる事、苦しいと言う事が下手な徹底的なクラン(道化)です。 センセの所にいくと、元気そうな自分を演じてしまうのに焦っていたし、調子が本当に悪い時でもそれすらも演技じゃないかと思ってました。 だから、凄まじい量の自分の棚卸しを持っていってともかく目を通して自分という人間が何を考えて生きて来たのかを知って貰いたいと思いました。 決定的にタヌキがセンセを信頼する事が出来たのは、そのプリントアウトした用紙をセンセが全てその場で目を通し、センセが綴っていくレポート用紙と一緒に保管していてくれた事です。 >みずちー曰く、普通の先生はそういう事はしないらしい。 そりゃ、対処療法の方がコストパフォーマンスもいいもんね。



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